のと鉄道は、能登線の存続に意欲的姿勢を見せた石川県が第三次廃止対象路線に早期指定させた能登線の営業を行うために1987年に設立された第三セクター鉄道会社である。風光明媚な能登半島は観光地として有名でかつ長距離路線で並行する高速道路もなかったため、名古屋や大阪への直通列車などの優等列車を運行、乗客も収入も増加させるなど経営状況は好調で第三セクター鉄道の優等生とも言われたが、七尾線和倉温泉までの電化と引き換えに七尾以遠の七尾線の営業を押し付けられ経営状況が大幅に悪化。経営コンサルタントは廃止を求めたが能登半島ほぼ全域の沿線自治体(特に珠洲市)の激しい反発を招き、なんとか存続している。
また、金沢へ直通する急行「能登路」はついにJR最後の純粋な定期急行列車になってしまった。
能登半島は古くからその複雑な地形から鉄道建設を求めていた。1922年には飯田(現:珠洲)までの鉄道建設が定められていたが戦後まで着工されず、戦後に建設が進められると「政治路線だ」と批判された。赤字83線にいきなり指定されるなど幸先は悪かったがその一方で奥能登観光ブームにより盛り返し、大阪や名古屋への優等列車の運行も開始された。ただ道路整備に伴い乗客は減少し廃止となる見方が強まっていた。そこで石川県は自力での鉄道存続に意欲を持ち、「のと鉄道」に継承された。運転頻度の向上などの積極的な施策を行い、経営は順調で直通列車の利用も上々であった。
しかし七尾線の経営を押し付けられ、経営状況がいきなり悪化。経営コンサルタントは能登線、輪島線(七尾線穴水以遠)の廃止を提言したが、利用者の平均乗車距離も長くバス転換が困難であること、優等列車の廃止で高校通学が困難になるとして、沿線自治体から激しい反発を招き結果として存続を果たしている。現在も多数の優等列車が運行されているが乗客数は減少傾向で経営状況は厳しくなっている。存続理由の一つでもあったIRいしかわ鉄道経営のノウハウ維持の役割がなくなった今、再び存続の岐路に立たされたが、その矢先に能登半島地震が発生。復興の柱の一つとして一転して光の当たる存在となった。
1924年 七尾以北着工
1925年 七尾~和倉 間開業
1928年 和倉~能登中島 間開業
1932年 能登中島~穴水 間開業
1935年 穴水~輪島 間開業
1952年 能登線が建設着工線に指定
1953年 能登線着工
1959年 穴水~鵜川 間開業
1960年 金沢直通準急「のとじ」運行開始
鵜川~宇出津 間開業
1962年 準急「そそぎ」運行開始
準急「つくも」運行開始
1963年 宇出津~松波 間開業
準急「そそぎ」「のとじ」に統合
大阪直通急行「奥能登」運行開始
大阪直通急行「へぐら」運行開始
1964年 宇出津~蛸島 間開業
準急「のとじ」「能登路」に改称
急行「へぐら」「奥能登」に統合
1968年 赤字83線に指定、廃止を求められる
急行「奥能登」「ゆのくに」に統合
準急「つくも」「能登路」に統合
1970年 名古屋直通急行「いぬわし」延長運転
1978年 急行「ゆのくに」廃止
1981年 穴水~蛸島 間貨物営業廃止
1984年 七尾~輪島 間貨物営業廃止
1986年 第三次廃止対象路線に指定、廃止承認
1988年 のと鉄道に転換
急行「能登路」運行中止
急行「のとリレー」運行開始
1991年 七尾線電化と引き換えに七尾以遠を引継
七尾~輪島 間のと鉄道に編入
急行「能登路」運行再開
急行「のとリレー」廃止
急行「しらさぎリレー」運行開始
急行「雷鳥リレー」運行開始
2015年 急行「はくたかリレー」運行開始
2004年 経営コンサルタント、のと鉄道の廃止を求める
議論棚上げ、存続決定
2007年 平成十九年能登半島地震発生
2015年 急行「のと里山里海」運行開始
特急「花嫁のれん」運行開始
特急「すずなり」運行開始
急行「しらさぎリレー」廃止
急行「はくたかリレー」廃止
2024年 令和六年能登半島地震発生
急行「雷鳥リレー」廃止
飛越鉄道
著者・著作 ひだじ
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